知性と人間性を育てる、国語力。

中学生以上について <読み書き習得ラストチャンス>

 大変な中学受験を終えて、いざその学校に入るとあまりに読み書きができないため、学校についていけなくなる子供達もいるようです。中学生からの入室でも、しっかりと段階を踏んでいけば、書けるようになるし、読めるようになります。この期間に(小学生の時もそうですが)読書をしない、あるいは本にはまった経験がないと、悲しいかな、人生を変えたこの一冊に出会える可能性はほとんどなくなってしまいます。どうやらそのような子供は、どちらかというと理数系の得意な男の子に多く見られるようです。

 また、中学受験をせず、公立中学校に進学した場合、作文などは一方的な読書感想文、読書は朝の10分間読書や夏休みに課題図書として出される本ぐらいで留まっているでしょう。10分間読書も何もやらないよりはましなのでしょうが、読書指導という点からみるとまだまだ物足りないでしょう。また、しっかりと書き言葉や作文を教えている学校はどれくらいあるでしょうか。実際中学生を教えてきて、接続詞一つまともに使うことのできない、本すら(年間ではなく)今まで読んできた本が10冊にも満たない・・・という子がたくさんいるのもわかります。

抽象性・時事性の高い文章に触れる

 中学部の方針も基本的に同じですが、このぐらいの段階からやっと本格的に論文や新聞の社説などのまとめに入っていきます。新聞は一番身近なメディアの一つですが、それを習慣として読んでいる生徒はほとんどいないでしょう。よく大人は新聞を読め読めと言いますが、子供からしたら傍迷惑な話です。新聞の読み方も教わっていないのに、ましてや関心もないのですから、読まないのは当然です。それに、あまりに子供達の現実と社会のそれとがかけ離れているために、読んでも実感を伴うことができないのです。

 まずは、それらの文章をしっかりとまとめ、テーマを理解することが目標です。そして、自分がその現実と接点を持った上で、自分の意見をまとめていきます。

 最終的にはメディアリテラシー(メディアリテラシーとはメディアの仕組みや伝達される内容を読み取る能力のことを言います。)までできることが目標です。

思春期の子供たちに必要な国語

 思春期に入って、子供達は、自分とは何かという切実な問題に直面していきます。これは出口のない迷路のようなものなのですが、初めてここで哲学というものがでてきます。誰にも答えの出せない、自分で探していくしかない問いを哲学という観点から見ていくことです。哲学と国語と、一体何の関係があるのかという感じがあるかもしれませんが、言葉という点で両者はとても密接です。考えること、これは哲学をしていく第一歩であり、必要条件でもあります。人間の頭を納得させるためには、しっかりとした説明が必要です。哲学という少しとっつきにくい学問は、そのような訓練をするのに最適です。言葉を尽くして説明する、もしくは理解する。そのような作業を通して、この時期の子供達は少しずつ抽象的な思考に慣れていきます。

 しかし、考えてばかりで頭でっかちになってもいけません。本当はどんな年齢においてもこれが一番大事かと思いますが、「読書」と「経験」です。この時期に出会った本は、その人においての一生のバイブルになりうる可能性があります。また、この年代に体験、経験したことは後の人生に大きくつながっていきます。両者は人生を大きく広げてくれるはずです。

 

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